昭和44年12月20日 朝の御理解



 御理解 第42節
 「これほど信心するのに、どうしてこういうことができるであろうかと思えば、信心はもうとまっておる。これはまだ信心が足らぬのじゃと思い、一心に信心してゆけば、そこからおかげが受けられる。」

 そこからおかげがうけられると、そこからおかげが受けられると言うおかげの転回ですね。そこからおかげが転回して来る。今朝あたくしお夢を頂いて、あたくしがここへこちらにおりますと、向こうの一生懸命走って先生一大事が起こりましたと、言うような風で走って来て秋永先生が、そして実際顔見てみると一大事と言う事じゃないと言う穏やかな顔なんです。そう言うようなまあ所謂態度って言うか姿勢ね。
 ただ他んとこは見向きもしないでですね、わたしのまあ言うならば、あげん表情厳しいか困ったような顔しとるなら何が起こったじゃろうかとあたしこっちから思うような、その態度なんですね。それで今朝から目が覚めた。その事あたしどんな事だろうかと、そん時思うとったけれどもう御祈念中その事忘れてしもうておって、おりましたら御祈念中に頂きます。今日のお祭りを奉仕させて貰います二代金光様四神金光様ね。
 同時に三代生神金光大神様金光攝胤乃君、金光四神貫之乃君この二柱の報徳のお祭りでございます。わけても九州の大恩人といわゆる教祖の神様と、そして二代金光様の時代に九州に道が伝わりました。桂松平先生に九州の地には死にに行くのぞと仰られた、九州の土になるのぞと仰られた。そして小倉に生神様が出来られたげなと言う程しの徳を受けよと、おっしゃられたと言う事でございます。
 てんで西も東も九州と言う地は、ご承知のない桂先生が、小倉に布教されました。当時はいち漁村に漁師町に過ぎないほどの、今はもう九州きっての、大都市でございますけどね。当時下関を馬関と言うておった。馬関を越えた所あそこは何と言う所かのと仰った。はぁあそこは下関、門司そして小倉がございますと、ああその小倉じゃその小倉に行けと仰った。金光様お言葉を返して悪いですけど。
 小倉と言う所はまあ言わば小さな言わば町だと、言う様な事を仰せられた所がね、その小さな町を大きくするのじゃと仰った。本当にそれから小倉の言わば町の発展は目覚しいものがありました訳ですね、こんにちに至っている訳です。九州に道を引き始めに小倉に轢かれて、そしてそれが福岡に伝わり久留米に伝わり、まあこれはあたくしの手続きで言うならば、それがまた善導寺であり所謂三井教会、に伝わりそしてあたくし共はこうして信心のおかげを頂いております。
 その四神様はわずか10年間、まる10年間三十の年から四十歳までの年を、まあ四十一期としてお隠れになられた、当時まだ三代金光様、所謂摂胤様はまあだ御年13歳であった。まあだ高等小学校の在学中でおありになった。当時の高等小学校それを、中退されましてから、御結界にお座りになられた。それこそ七十年間84歳におなりになる迄、それこそあからさまにも、お勤めゆるがされる様な事なくお勤めぬかれた。
 兎に角七十年間ここに座りぬかれ(感極まって)もう人間の限界を超しとるでしょうね、達磨さんですかね、壁の方へ向かって17年間でしたか、何年間でしたかね、七年でしたか、ある偉い禅の坊さんが三代金光様に拝した時に、もう禅の大家だって言うて感心されたと言う事である。しかも朝の四時のお勤めから終日御神勤になられました。あたくし共は御晩年の頃の金光様だけしか存じ上げませんけど。
 もう本当それはそれは生神様って言葉使うなら、此の方の事であろうとあたくし共思いましたね。ご風貌からそうでございましたが、その二代金光様しかも三代金光様に亘っての教祖様のご信心をもう間違いなく受けられた。そしてそれを三代金光様に又お伝えになられた。その四神様のご修行振りって言うのは十年間のご修行振りって言うのは、そりゃもう大変なご修行だったらしいですね。
 十年間で終わりになったけれど、その為にお命がお縮みになったんじゃろうと言うぐらいなご修行振りであった。だから四神様の事私がまだいよいよあの修行が激しくなって、神様からこうして色々お知らせを頂くようになりました時分の事でした、ある御本部参拝に奥城に出らせて頂きましたら、教祖様の奥城で頂きました事がね、四神、四神が三本鍬ですね、お百姓さんが使われる三本鍬、三本鍬なら教祖様がやっぱ平鍬にあたる、所謂三本鍬あたしがもうそれこそ修行の真っ最中でしたが。
 今こそ四神の修行をさせて頂いておる時だと、四神さまのお期待を頂いておる時だと、本当に這いも立ちも出きんぐらいな所までこう追い込まれて行きながらです、やはり心の底に真の喜びと申しましょうかね、信心の喜びが火のようにまあ燃えておった時代であります。確かに四神さまのご修行を受ける時には、善導寺では17日が四神様の月並祭ですが、もう17日の月並祭ち言うたら何にか起こりよったです。
 四神様のこの報徳祭と言う時にはもう何にか大変な事がありよったです。所謂四神様が固い心を打ち耕しておって下さっておったんですね、柔らかくして下さる為に、それから段々修行がやさしゅうなり、まあ言うならば人が助かるようにもなり、と言う時には今度は教祖様の所謂平鍬教祖様が平鍬だと、もう耕した田を今度は奇麗に畝を作って行くね。そこへあたくしの信心の喜びがこう蒔かれる。
 三代生神金光大神様のお取次ぎを頂いて、三代金光様のお言葉通りにあたくしがおかげをこうむる。道の教師としておかげを受けたら良かろうと言うて下さってから、それこそ夢あたくしはお道の教師なんて思わなかったんですから、それから腹が決まったそれから二十年近く、とてもお道に教師なんかなれんのかと思われるぐらいに様々な問題があった。いくらこちらが習とったってなさんのだもん。
 それでも矢張り三代金光様が道の教師としてと言うて下さってあったから、必ず成る必ずおかげに成る必ず教会に成る、まあこの信念は私し皆さんもおんなしだと思いますよね。但しあのそう言う様な意味でですね、二十年近くも教会ならんなりにほうからかされのは、もう恐らく後にも先にもほんなこつなかろうと思うです。ようも二十年近くもそのまあ色々に言われながら、辛抱してきた事だて思わせて頂くぐらい、
 それがおかげを頂いて、その都度都度にわたくしが感じた事はここだ。これはまだわたくしの信心が足りんからだと言う、こちらの信心さえ出来ればチャンとそん時におかげ頂けれると、これほど一生懸命信心するのにどうしてと言う事ではなくて、これはまあだわたくしの信心が足りんのだと思うて信心に精進させて頂いておりましたら、段々人が助かって行く事も、言わば本格的に信心を求められる方達が段々出来てくるようになり、信心の道の事も分り信心も段々深められて行かれて。
 まあ言うなら今日のお夢から言うなら、秋永先生あたりのような人達が段々出けて来た。私しは今日ご神前に御祈念中に、そのあからさまにも揺るがせにしたまわず、御取次ぎに成就の事の為にご精進下さった教祖の神様の、ご信心を正しく二代金光様がお受けになられて、しかもそれをまた三代金光様にお渡しになられた。それをまた間違いなくお受けぬかれて七十年間、それこそあからさまにも揺るがせしたまわず。
 御取次ぎの正行に使れた、あからさまにね、そしたらひたむきと言う事を頂きました。意味がねひたむき、ひたむきの精進ははあ今日は秋永先生が私の方へ走って行きよったのは、先生大変な事が起こりましたと言うような感じなんだいたいは、けれど実際顔見るとそうではない、おだやかな顔でただ私の方へ見向きもせずに走って来ておると言うのがです。ははぁああ言う姿がひたむきな姿だな見向きもしない。
 ひたむきの精進ひたむきに信心を体得しよう、本当に分らせて頂こうと言う信心、迷う事なし、揺るぐ事なく、そこの所の一点を見つめて精進してまあこりゃわたくしと共々に、秋永先生以下いうなら当時今の今日まで続いておられるご信者さん方はやはりそうでございましたがね、合楽が教会に成る事の為に親先生が、先生初代教会長としておかげを頂かれる事の為に一生懸命なって来た。
 そうしてどのように例えば頑張らせて頂いても、事が成就していかない時にどうしてじゃろかとは、あたくし始め皆な思わなかったと言う事、こりゃまあだ信心が足りんのだと言う一期につきる、そう言う信心、私はねそこからですそこからあたくしは一心に、信心して行けばと言うのはひたむきな信心と言うにはそこからの信心だと思うですね。そこから一心にこれはまあだ信心が足りぬからだと言う思い、そこから一心の信心をいよいよ続けて行く、それがあたくしはひたむきだとこう思う。
 ひたむきな信心そこからおかげが頂けて来る、いわゆるそこから転回して来るおかげが本当のおかげだと私は思う。そこでどう言う事になるかと言うと、これはまあだわたくしの信心が足りぬからじゃと言う、所にならなきゃならんと言う事ですね。そこに信心の工夫がいる、信心のやはり我が心からも練り出せと仰る、ね、練って行くと言う必要が出て来る訳でございます。
 考えてみますと本当にここ二十年間、本当に自分ながらもやはりひたむきだったんだなと思います。他の事はそれこそ何にも考えない。頭の中に他の事入って来ると、私は頭が今すぐ混乱いたします。先日あたしが立て替えておった、お金とそれから他の何か二言三言重なって、お金があたくしが持ってこんならんお金が事務所の方から出けたらしいんですよ。あれのお金とこれのお金をどうぞ受けとって下さいと持って来た。
 それを聞きよったして末永さんが今頭の方は混乱しとるんでしょうね。いいやそげんいくつでんあんなら、間違うけんで後からいっちょづつ持ってこんの(大笑い)と言う程しにあたしの頭は、他の事が入って来ると混乱するです。それがあたしの頭ん中にはもう。勿論頭ん中にはあたしの心の中にはね、神様の事だけしかないからなんです。そのひたむきな心ひたむきな心を持って。
 所謂一心に信心してそこからおかげが受けられる。私し昨日竹内先生のお花を活けておられる所をのぞきましたら、先生これでいいでしょうかと言われて、私芸はあれを玉椿って言うんですよね。言うあのそん時あたしチョット引っ掛ったんですよね。いやぁまぁとんでもない花が来たなと心の中に思うたんです。何故ってあの花は、あの花が活かると必ず人が死ぬんですよ。けども折角もう活けられてる、それからあたしは又愈々その事を神様にお願いさせて頂いた。
 そしたらね、そしたらね、そのところをまぁ一心にまあ願えと言う事を頂きましてから、今日御理解を頂きましたら死に晩じゃった。42節はあこれでおかげ受けた。もうこれで言わばもうお祭り替えが出来た、是でおかげ頂いた、そこで今までの信心ではいけんのだから、これはまあだ私の信心が足りぬからだと思うて、一心に信心をして行けばそこからおかげが受けられるとあたしは今日感じた。
 そりゃもう大変な力強いものである。そして今朝秋永先生の頂いた夢とそれやらこれやら、ご神前に頂くその事やら今日のご大祭やら、あれやらこれやら思うてです、もうそれこそ心の中から湧いて来るような、有難いやら元気な心と言うものがです、おかげを頂いた、もうこの死にばんで今日はお祭り替えでおかげ頂いた、それにはならこれでおかげ頂いたと言うだけじゃいけんのだからです。
 是はまあだ私の信心が足りんと思うて、一心に信心をして行けばと仰るのだから、その一心に信心して行けばの所をです、今までの通りではいかんのだから。今日を境に今日のご大祭を言わば境にです、又一心と新たな信心へふんぎらせて頂いてです、行けばそこからおかげが受けられる、そこからです例えばそのような言うなら、ふきしなと言うでしょうが、言わばイヤな事なんですけれどもその事のおかげでです。
 今日のご大祭が一際ね色彩をうるだろう。今日のご大祭が一段とこのご大祭を境にです、今まで言わば出来なかった信心が一心にそれから進められて行く事であろう。自分の心も勿論その事を覚悟させて頂く、そこに限りない元気が湧いて来るおかげを受ける、一心に信心して行けばそこからおかげが受けられる。あたしはどの様な場合でも、どの様な事に直面致しましてもです。
 これはまあだ信心が足りぬからだと思えれる信心をひたむきな信心だと私は思います。ひたむきな信心をしとらなきゃ出ける事じゃありません。神様に文句言おう事ある、と言う時にはまだまだ勿論ひたむきな信心がでけていない時。それはどう言う事になって来るかと言うと、これはまあだ私の信心が足りぬからだと、ならあたくし共ここ過去二十年間の事振り返ってみても、何回ともなしに例えばここ教会設立問題でも。
 その時その時の幹部の方達がどれほど御本部へ通いましたことか、あの手この手を尽くしました事か、今度は行けるぞ今度はもう簡単に言うて下さるんです。始め例えば鹿児島の行徳先生なんかは、善導寺の親先生の弟さんですからね、あちらが御本部の要職につかれたんですからね。先唱を勤められた。いっちょん問題ないじゃないの、これだけ人が助かりよるもんばどうしてあんたが御本部に行くの。
 うちでこのまま教会にならじゃこて、もうそりゃあんたいっちょん問題じゃないこって、もういと簡単に誰でも言うんです。ところが実際なら許可を受けると言う事まで行くとです、全部行けない兎に角当時の椛目の調書だけでも沢山な事です。だからその都度都度にです。ガッカリする段じゃない所謂これはまあだ、私達の信心が足りんからだと言うそこに絞られておったんですから。
その都度都度に椛目ではやはりその事を成就しないけれど、その事以外の事が成就して行った。その事以外の言わばご成就がここの御造営である、その事はおかげにならんけれどこのような働きになって来た。出来あがった、教会の認可があった、私が初代教会長としておかげを頂いたと言う事になる。ここん所のおかげを下さる事の為の神様のあれこれ御演出であったと言う事もわかる。それを途中でどうしてじゃろかち。
 こがしこ信心するのに、ち言うとったらどういう事になっとっか分らん。それは私し共がおかげを頂いて、ひたむきな信心を続けて来たからでございます。あたくしを始め当時の総代幹部の方達が、そう言うその事に限っては、ひたむきなものを持って進まれたからであります。どんな場合でもこれはあたしの信心が足りぬからだと言う一点に絞る以外にありません。それはもう人間の一番悲しい事、例えば死に直面する事であってもです、チョット言うならば。
 昨日前知らせを頂いたようなものですが、明日はいよいよ大祭だと言うのに、まあ言うならこんな花ばここに活かると言う事は、しかしなら竹内先生がひとつそげな不吉な事になる為に、いっちょこの花ば買おかと買うてくなさったとじゃなかですもんね。花やで見てこれが一番いいと思われたから買うてこられた。所謂神ながらな事、であたくしが先生このままでいいでしょうか、あたしが咄嗟に返事が出来なかった。
 なんなら買い直しますかなっち、もう次ぎの心心のなかにそう感じたんです。けどもまあいいでしょうチョット時間置いて私そう申しました。それから「?」これからの信心と言う事を思うからなのです。そこに一心の言わば信心して行けば、そこからおかげが受けられると仰る神様わたくし共頂いておるのでございますから、これはまだわたくしの信心がたりんからと思えれる信心、それはそれこそひたむきひたむきの信心姿勢と言うものが、神様の方へ向けておられなければです。
 今日あたしがお夢の中頂いた秋永先生のそう言う姿じゃないですけど、そう言うひたむきなものをです、向けておかないとです心に動揺がまいります。おかげおかげぐらいな事でですね、おかげぐらいなおかげぐらいちゃ大変悪いですけどね、おかげがどうこうって言ったような事でですね、また自分の便利ぐらいの事でですね、自分の信心をぐら付かせたら駄目、言わば皆さんの場合はです。
 いうなら例えば今日は所謂佐賀から熊本から、皆さんがここにこうしておられる訳でしょう。佐賀からね、それはね合楽に向けられるひたむきなものがあるから出きるんです。安藤さんなんかは飯塚から、古賀先生なんか飯塚から、ひたむきな心があるからあたしゃ遠いを遠いとも思わんでやってこれる訳なんです。だからその心をです、私は曲げずその一心を信心に神様に向けて行く、ひたむきな心が養われる所から。
 どのような事に直面いたしましても、これはまあだわたくしの信心が、足らんからと言う答えが出て来るだろうと思う。そこから展開して来るおかげが本当のおかげだと思う、いつの場合でもこれはまだ私の信心が足りぬからと思えれる信心をね頂きたい、ただ思うただけではいかんから、あたしが今日昨夜から今日にかけて感じておるように。いままでの信心ではいけんのだから、二代金光様三代金光様、それこそ生命をかけての御取次による、死んだ気で欲を離して道の為におつくし下さったと言う。
 例えばその言うなら真似事でもさせて頂こうと、発心させて頂いて死に直面しておるような事でも、それを新たなおかげとしてそれを転回して行くだけのですね、信心それはこれはわたくしの信心が足りぬからだと言う思いが、次ぎの信心に飛躍して行く所からです、その例えば運命が新たな、活き活きした有難い方の運命に切り替えて行けれる程しのおかげが受けられる。それが新たなおかげの転回だと言う風に思うんですよね。
   どうぞ。